ザ本ブログ

読書をメインに。他、雑記などをアップしていきます。

神奈川県立近代美術館〈葉山館〉 / 萬鐵五郎展(2017夏)

美術館というものは、人影もまばらに、閑散としていなければならない。

 

 

いや、経営上はそれじゃマズイんでしょうが、鑑賞する側からすると、人の肩越しに見るとか、人が見終わるのを待つとか、次の人を気にするとか、窮屈でしょうがない。

 

なのでわたしは地方の美術館が好きです。夏には涼めますしね。

 

神奈川県立近代美術館は、逗子駅新逗子駅から、バスで20分。駐車場は広く、美術館を利用すれば1.5時間無料。ビーチの目の前で、美術館の休憩室からは相模湾が望めます。

天井は高く間取りも広く、地方ならではの贅沢な空間取り。周辺にもチラホラ彫刻が配置されてます。

 

萬鐵五郎展をやっていることは入るまで知らなかったのですが汗、 《裸体美人》だけは教科書か何かで見て、知っていましたね。41歳の若さで亡くなった割には、作品数は多いのだろうか。油彩、水彩、水墨画など多彩で、晩年のキュビズムの作品は、サイズの大きい物が多く、凄みを感じました。謎めいた作品が多いとの解説も。

 

のんびり鑑賞するには、とてもオススメの美術館でした。

 

にじ色の本棚ーLGBTブックガイドー /原ミナ汰・土肥いつき

イヌだのネコだのって…。なにかがすきって気持ちこそ大切なのに。(『ふしぎなごっこ遊び』より)

 

冒頭の文はムーミンのエピソードの一つ。ネコが好きなことで悩むイヌに、ムーミンママが話した言葉だ。作者のトーベ・ヤンソン自身もバイセクシュアルであったことからか、ムーミンに登場するキャラクターも性別の曖昧なものが多い。

 

ここ数年でLGBTという言葉を、よく耳にするようになりました。二子玉川駅で、初めてユニセックストイレを見かけたり。とはいえ、ストレートな人にとっては、またまだ身近に感じられないことも事実(LGBTという言葉自体が、性の多様性を規定してしまうとの批判も根強い)。

 

その原因はカミングアウトがしづらい文化であることが大きいかと。近くにいても、話せずに抱え込んでいる人が、圧倒的多数なのでしょう。

 

本著ではトランスジェンダー(性自認が異なる人)に関わる文献が、多数紹介されています。わたし自身も、ゲイやレズという言葉を知っていても、その狭間にいる方や、志向が一人一人あまりにも異なっていることを初めて知りました。あまりにもバラバラな故に、言葉でくくることは困難であり、無意味です。

 

本の紹介と、挟まれる短いコラムがメインのため、一冊の本としては雑多な印象は否めません。しかしだからこそ、多様な性の多くをカバーできる内容となっています。自身の性に違和感のある方は、ぜひ手に取ってみてください。

 

フィッシャー・キング(1991年) / テリー・ギリアム

■ニューヨークで人気のラジオDJだったジャック。しかし放送で不用意な発言をした結果、リスナーが銃による無差別殺人事件を起こしてしまう。バーでの発砲で死者7人。責任を追及されたジャックは、落ちぶれてヒモ同然の生活を送る。そこで偶然出会ったのが元大学教授で現在はホームレスのパリー。彼はなんと、バーで殺害された女性の夫だった。妻を目の前で殺されたショックで精神を病んで、仕事を失ったパリー。彼に報いることが自分の贖罪になるのではとジャックは考え、パリーと行動を共にするのだった。■

 

心を病んだ、純粋なパリーの心象風景の描写に惹かれました。自分の好きな女性を駅の雑踏の中で追うとき、駅のフロアがダンスフロアのように描かれ、社交ダンスを踊る男女の間を縫っていきます。

 

思い出してはいけない過去がよぎるとき、馬に乗った赤い騎士が現れます。このように、作中に彼の見ている幻想が現実のようにたち現れてきます。

 

パリーは医者に、ショッキングな過去を思い出さないように言い渡されていました。しかし物語の最後に、ジャックの努力によってか、彼はほんの少しだけ過去を取り戻し、受け入れることができます。愛する女性の面影を…。

 

ハッピーエンドとは自分には思えませんでした。しかし大きなものを失い、ほんの少し取り戻す、そしてまた前を向き歩み出す。受け入れきれない苦難に直面した人に、少しだけ勇気を分けることができる。そんな作品だと感じました。

告白 / 町田 康

あの人は何も考えてない、とか、絡みづらいやつだなぁ。などと思った経験、誰にでもあると思います。本著はそんな人に疎ましく思われてるばかりの、チンピラの思考を追います。

 

とにかく本作は分厚い、長い。その中でとにかく彼の思考がツラツラと書き連ねられます。仕事もせず、博打と酒に溺れる日々。異性には興味津々なれど、何ら手を出せず、ケチな犯罪に手を染め、あっけない結末を迎えます。

 

こう書くと、全く読む価値が無さそうに思われますが、この本、とにかく読後感が切ないんです。なぜか。

バカで無知と思われてるばかりのチンピラですが、その思考は意外と論理的です。時には哲学的でさえある。異性にアタックする際に、周到に計算する計画性もある。

でも口をついて出る言葉は支離滅裂。無学ながら、かなり深い思索をしているのに、それを表す術を知らないんですね。相棒と呼べる人物に出会うも、相手は直感タイプの行動派なので、結局言葉で分かり合うことはない。

 

なまじ頭はいいけど、空回りした思考を持て余し、一度足りとも誰とも通じ合うことない人物の頭の中を、一冊で一生分覗き見た感じ。

活字中毒でなければ、オススメできません。でも読んだ人の感想は聞いてみたい一作。

 

 

17人のわたし / リチャード•ベア

 一人の精神科医が虐待などで17の人格に分かれてしまった多重人格の女性を、18年かけて治療•統合していく実話。消えるのを怖れる人格達を理解し、納得してもらおうとするやり取りが、とても温かい。彼女の自殺を何度も食い止め、最後には治療費の請求も止めて、医師と患者の枠を超えた信頼関係を結ぶ過程は、どんな甘やかな物語より愛に溢れていた。

 人格達の記憶や能力を融合していく様は、常人には想像が付かない。最初の統合の描写が圧巻だ。消える人格は周囲に星が流れ、自分の存在が薄まっていくのを感じると話した。精神の消失、即ち‘死’を生きながらにして体験する••どんな感覚なのだろう?

 もう一つの観点。人格達はそれぞれの交友関係を築いていた。多重と言っても、元は一人の人間の断片。人間としての深みには欠ける。それでも周囲に気付く者は皆無だったという。このことは、やはり人は他者の一面しか見れないことを示している。だから人に理解してもらえないのは当たり前。もし一瞬でも互いに理解しあえている、と感じたらそれは本当に奇跡なんだと思う。

 凄惨に荒らされた自分の内面世界に向き合い、これを克服しようとする彼女の強さは、どんな逆境にいる人も勇気付けるだろう。医師(著者)が最後に述べている。「彼女は途轍もない人間だ」、と。