ザ本ブログ

読書をメインに。他、雑記などをアップしていきます。

風が強く吹いている / 三浦しおん

小説では終盤、電車の中で泣きそうになったが、アニメ版はどうか。
結論から申しますと、とても良かったです!小説の思い入れも加味されているかも知れないけど。すでに映画化もされてるし、今更アニメかぁ~って感じもあったけど、スタッフのカゼツヨ愛を感じましたよ笑。
最近、昔のマンガのアニメ化が良かったりしますよね。バナナフィッシュもメチャ良かった!

箱根駅伝をテーマにした他の作品があるかは知りませんが、駅伝ならではの優れた構成ですよねー。
素人が出場しちゃうのは荒唐無稽だけど、それも丁寧な取材と緻密な描写で、不可能じゃないかも?と思わせてくれる(現実には、どうなんでしょう)。
10人でタスキをつなぐことに着目し、本番では一人ひとり、走っている間はエピソードが展開されることになる。
素人ならではの、それぞれの人生観とかが顕れていて、とても考えさせられる。
走者の順番も、あれ以外考えられないですよね!走るという、陸上を知らない人からすると単純に見える作業も、 体格やそれまでの経験から、それぞれフォームは変わってくる 。
カケルの走っている姿は美しかったですねー。不安定なメンタルだったカケルが、名実ともにチームの精神的支柱に なっていく成長譚でもあります。彼の区間新は、ハイジへの恩返しでありました。
そして実際には襷をハイジに渡したのですが、寛政大学の未来への襷はカケルが受け取った形になります。

最後まで、完璧な作りこみの構成。見終わったら、走りたくなりますね。すぐバテるんでしょうが笑。

カフーを待ちわびて / 原田マハ

原田マハさん、何冊か読みましたがこれが代表作なんですかね。第1回日本ラブストーリー大賞受賞。そんな賞、初めて知りました笑。

 

何冊か読んだ(キネマの神様、生きるぼくら)感想としては、現実を描いてるのに、非現実的だなあと。ファンタジーにリアルさは求めてないし、振り切れてる作風ならそれもまた良し。

 

一応現実なのに、微妙にちょっとあり得ない。そこのところの気持ち悪さはありますが、本作はそこを無視すれば、非常に爽やかな読後感のある作品。誰にでも気軽に勧められます。

 

カフーとは沖縄の方言で果報のこと。沖縄好きの人なら、その舞台設定だけで旅行気分が味わえる。身体にハンディがあり、生い立ちからも少し閉じ籠り勝ちな主人公・友寄明青。そんな明青のもとに、不意に訪れた色白に美人、幸。沖縄を舞台に語られる、ひたすら純粋でもどかしいほのかな恋模様。

難しいことを考えずに、ピュアな気分にひたりたい気分の時には、いい一冊じゃないですかね。

サラバ  / 西 加奈子

これほどまでに自伝が書いてみたくなった物語は、初めてだ。

読者全員はそう感じるかは、分からない。なぜなら本著の上巻は主人公が幼少時代にエジプトへと転校になり、日本に帰ってくる シーンが主題なのだが、私自身も幼少時代にイギリスに数年いたことがあるからだ。
(ちなみに作者は、幼少期にテヘランに滞在していたことがあり、本作品は自伝的要素もあるとされる)


言葉が通じないながらも、現地の子どもと親友と言うべき間柄を築いてく過程は、自分の幼少期の記憶を強力に呼び起こされる思いだった。とにかく、子どもの言葉にならない感情を描写する力が抜群。子どもが、そのまま大人の語彙力と表現力を持って紡いでいるかのような表現。子どもの自分が、目の前に立ち現れているかのように、錯覚してしまいそうだった。

幼少時に、自分より少し行動力があって大人びた親友に抱く万能感のようなものは、共通の経験なんですかね。
読んでいて、本当に懐かしく気恥ずかしかった笑。

全く違う文化に、子どもながらの柔軟さと臆病さで溶け込んでいく様も、微笑ましい。そして、日本に帰る時は元いた場所とはいえ、小学校高学年。完全な子どもとして、回帰するのは微妙な立ち回りが必要で、そこで姉弟の明暗が分かれてしまう様もリアル。
自分は小学校3年生で帰国した際には、日本の小学生はませているなと感じた。
ちなみに、主人公のコミュニケーション能力、ってかスペック全般は僕よりはるかに高いですね笑。

中巻から下巻にかけて、弟より全般に劣る姉の異常性が浮き彫りになり、存在感が増していく。 実は、自分は物語を読み終わった今でも、この姉の存在というか、メッセージ性とでもいうのか、がとにかくよく分からなかったです。
要領よく生きていく弟に対抗する存在として登場しているのかも知れないけど、おそらくは最後に主人公である弟に用意したカウンターも、イマイチ個人的にはクリーンヒットしなかったかなぁ、という印象です。

それぞれにエピソードはとても魅力的だけども、それがまとまっていて、何か共通するものが根幹に流れているかは、自分としては不明。まあ、自伝的作りなら、それも致し方なしか。

自分は、幼少期を追体験しているかのような上巻が、もっともインパクトがありました。

君の膵臓をたべたい(キミスイ) / 住野よる 〈双葉文庫〉

本のタイトルをよく目にして気になっていたので、読んでみました。1年ほど前に、小坂流加の『余命10年』を読んでいたのですが、それに似ているテイストかなと。

 

元々自分は人の死生観とか、哲学的なテーマが好きなので、続きが気になって一気に読んでしまいましたね。時々、鳥肌が立つ部分もあった。

 

でも読み終わった直後の今の感想としては、「構成の上手いラノベくらいな感じかなー」といったところですかね。会話が多く含まれているので、読みやすいのは間違いないですけど。ただ主人公の会話の返しが、一々機知に富みすぎてて、いくら読書家って設定でも、こんな会話は不可能だろと。まあフィクションにヤボなツッコミ入れんなって話ですが笑。

 

一昔前の、長澤まさみ主演の『世界の中心で愛を叫ぶ』(セカチュー)とか、確かガッキーが主演してた『赤い糸』 とかに比べたら、よっぽど構成は優れてますね。主人公の名前が、最後まで明かされないのも、何となく伏線かつ独特な表現手段になってて、現代作家っぽいなあと思わせてくれます。

 

重いテーマなのに、悲劇風にしていないのは好感が持てる。病気の描写がメインではなく、病を得た少女、そしてその子に無理矢理付き合わされる、少年の心の成長が主題ですからね。そこをテンポよく描き切り、ちょっとしたどんでん返しも盛り込み、首尾よくまとめた作者の技量はすごいと思いました。ま、リアリティを求める作品じゃないってことです。

 

『余命10年』と『君の膵臓をたべたい』。これらの二つの作品が、比べられる対象かは分かりませんが、同時期に似たテーマで(若い女性が余命宣告のうえ、亡くなる)、ページ数も同じくらいなので、あえて比較してみます。

 

『余命10年』は実話 ↔ 『キミスイ』は創作

『余命10年』主人公は大学から社会人 ↔『キミスイ』は女子高生

『余命10年』は10年程度の話 ↔『キミスイ』は4ヶ月

『余命10年』は主人公視点 ↔ 『キミスイ』は主人公の友人視点

 

こんなところかな。

両方の特徴的なところは、病名が特に明かされないところです。『余命10年』の病名は、実話なので類推される病名もありますが、『キミスイ』に関しては、1型糖尿病っぽい感じもあるものの、特に余命宣告される類いの病気ではないようなので。なぜ“膵臓”を選んだのかはナゾですが、インパクトを与えられるのであれば、別にどの臓器でも良かったのかも知れませんね笑。

 

もの凄くオススメってわけじゃないけど、読みやすくまとまっていて、とても優秀な作品だと思います。自分は特に泣かなかったですが。

 

 

『余命10年』の書評は、下の記事から↓

bookblog.hatenablog.com

『わたしを離さないで』カズオ・イシグロ

読み終わった直後の、素直な感想を一言で言えば、“気持ち悪い“ですね。細かな心理描写が続くので、「久しぶりに文学読んでるなぁ」という感じが最初はしていたのですが。

 

臓器移植用のクローンとして育てられている子ども達の、一見“普通っぽい“学校生活も不気味だし、自分達の置かれている状況を、子供ながらに少ない情報で類推していく様(しかも的外れだったりする)が、読んでいてもどかしい。そこに教育者として関わっている大人達も、その異様さを受容しきれていない。

 

ところがたまたま手元に、カズオ・イシグロが本作品についてインタビューを受けた本を持っていたので、それを参照すると、少しは合点の行くところもあった。

 

本書は誰にでもかつてはあった、“子供時代”をメタファーとしているとのこと。子供に対して、大人はその成長段階に応じて、注意深く情報を出し入れしている。幼児にいきなりお酒や性的な話や、資産運用の話はしないですもんね。また、社会も必要以上に刺激的な情報に対しては、例えばその場所を立ち入り禁止にしたり、ある程度のフィルタリングをかけたりする。

 

『わたしを離さないで』の、クローンの子供たちも、情操上必要な教育を受けながらも、一般社会とは注意深く切り離された状況で、宿舎に住まい、学校生活を送っている。クローンなので、いわゆる“親”はいないわけで...(完全に遺伝子の一致した“親”はいるのだが、会うことはない。自分の臓器のストックですからね)。

 

完全に情報遮断しているわけではないが、一定以上興味を持たないように仕向けられている。知ろうとしすぎると、ヘールシャム(作中のクローン達の学校)の教師達に動揺が広がる。子供に、見てはならないものを、見られてしまった時のように。

 

読み手を選ぶ作品ですね。自分は作者のインタビュー内容を見るまでは、全く意味が分かりませんでした。余談ですが、この閉鎖された状況で、ある意味、“飼育”された状況を描いている点において、現在週刊少年ジャンプで掲載されている『約束のネバーランド』を彷彿とさせました。

『ネバラン』では、その環境に気づいた主人公の子供達の、“脱出劇”が描かれますが、イシグロ氏は、“脱出”は最初に思い付く選択であり、全く考慮に入れる気はなかったと。それよりも、〈状況を受け入れてしまう人間〉に関心があったとのことです。うーん、やはり常人の視点ではないですね。『ネバラン』の主人公たちが、状況を〈受け入れて〉しまっていたら、少年マンガ誌では掲載できなかったでしょうね笑。