ダークツーリズム 悲しみの記憶を巡る旅 (幻冬舎新書) [ 井出明 ]
日本では2011年の東日本大震災以降から、ダークツーリズムという考え方が、聞かれるようになったと思う。本書はダークツーリズムの研究者である著者が、当概念について手ほどくと共に、自身が各地を巡って、その地の記憶や遺構をダークツーリズムの見方から案内する紀行文の形を取る。
東日本大震災などの災害の爪痕については、当事者達の忘れたいという気持ちと、記憶を継承して忘れまいという気持ちがせめぎ合う。筆者は極力、現状を保存していくことを推奨している。それは事実として、実際のモノが失われると、文書などで残っていても風化して、忘れ去られている現実を目の当たりにしたからだという。
北海道の稚内では、1945年の終戦間際にソ連が侵攻してきて、その地の電信所にいた女性職員たちが陥落寸前まで電信を送り続け、「これで最後です、さようなら、さようなら」の電信を最後に、全員が服毒して自決したとの記録があるという。内容だけ見れば、白虎隊やひめゆり部隊に匹敵する悲劇だと思うのだけれど、これも実際の建物などが残されていないせいか、記憶の承継がなされていない。現物があって、人の記憶を刺激し続けることが、保存に当たってはるかに有利なことがうかがい知れる。語りつなぎ、悲劇を繰り返すことを防ぎ、事実を明らかにしていくことが、その地に生きた人の魂に報いること繋がると思う。
個人としては、東日本大震災の一年後にボランティアで震災跡地の沿岸を訪れたことがある。住宅街があったであろう場所は、土台しか残されておらず、街は原型を留めていなかった。底抜けに天気がいい日で、冬晴れの青空に風が気持ち良く吹きわたり、災禍とのギャップが物悲しかった。被災地へのメッセージが寄せられた国旗が風にたなびいていて、伝言を寄せた人たちの気持ちが純粋なものであったとしても、家も関係性も破壊し尽され、仮設住宅で暮らす被災者達の心情とはかけ離れていることに、軽い気持ちでボランティアに参加した自分と重なる部分があり、居心地の悪さを感じた。
伊豆大島の台風による土砂崩れや、熱海の盛り土による土砂崩れの現場も訪れたことがある。東日本大震災の東北地域に比すると、災害の威力はいずれも甚大であるものの、局所的であることが印象に残った。直接の被害者にしてみれば、規模の問題ではないだろうが、広範囲に被災し、なおかつ原発の放射能の問題まで抱えた災害に比べると、まだしもケアの余地はあるのだろうか。
いずれも観光ついでの軽い気持ちでの訪問ではあるが、自分は被災後の地域には、積極的に出かけるようにしている。何か事故があれば宿のキャンセルが相次ぎ、観光地の収益が落ちてしまうことを良く耳にするからだ。被災地の被害状況にもグラデーションがあり、無事な地域の経済まで滞れば、被災地区の復旧にも支障をきたすのではないだろうか。被災地区は神妙な気持ちで訪問し、自然の巨大さやその災禍を防ぐ手立てなどに思いを馳せ、楽しむ所は存分に楽しめばいいのである。自粛の気持ちなど、被災者には届かない。復旧・復興に必要なのは、実践的な支援・資金しかないのだ。
新型コロナに対するホリエモンはさすがだなと思った
Twitterで何度か見かけただけですが、新型コロナに対するホリエモンのスタンスは一貫して恐らく、
「怖がりすぎ。自粛なんて下らない。」
とゆーものだったと思います。
5月末現在、国内においてはある程度落ち着きつつある現状と、各国に比べての感染者数や死亡者の少なさから、まぁ雰囲気としては、それなりにホリエモンの言ってたことも的外れじゃない感はありますが。
しかしながら、緩いとはいえある程度の自粛をしたからこそ、現状程度の被害に抑えられている可能性は高いので、“逆張り”の言動をしてきた彼は罪深いとも言える。少なくとも感染者数を抑えるという一点においてはね。
まあ第二波、第三波では集団免疫を獲得しつつあるスウェーデンの一人勝ちだとか(アフリカとかでコロナが変異してくる可能性もあるし)、経済苦によって自殺する人が増えたら、コロナ以上の被害になるとかの話もあるけど、そこら辺は時間をおいて検証しないと分からないところだと思う。
あと、専門家の意見は鵜呑みにしちゃいけない。原子力の専門家が揃って安全性を主張した原発は放射能を撒き散らし、経済の専門家が頭捻ってもデフレ脱却できてないわけですから。
細菌の専門家に従ってたら刺身すら食えないし、眼科医にはコンタクトを禁止されちゃう。
彼らはあくまでも限定された領域でのスペシャリストであって、社会全体の影響を考慮して発信してるわけじゃないんですね。
そこら辺の意見を汲み上げて、バランス良くキュレーションして発信するのがメディアの役割で、政策に落とし込むのが政治家の領分なのだけど、ここになかなか期待できないのは、皆様よくご存じの通りです。自分の頭で考える習慣を付けるしかない。
だいぶ脱線しましたが、ホリエモンのように裸一貫で起業した成功者にしてみれば、大多数の流れに逆らった“逆張り”の言動をするのはある種当たり前なんでしょうね。
多少叩かれようとも、まず“悪目立ち”できるし、上手くハマれば“先見の明がある”。多少情勢が悪くなっても“ブレない”との評価が得られるし、最悪の場合「自分が間違ってた!医療従事者に私財で経済支援します!」とか言えば、“潔い”と思ってくれるかも知れない。
なので善し悪し好き嫌いじゃなく、さすがのポジション取りだなあと思ってる次第です。ヒール役、上等ってね。
関係ないけど、バンクシーがお医者さんありがとうみたいな作品を発表した時は、少し違和感があった。権力とか権威を嘲笑うかのような風刺が、彼の作風だと思ってたんだけど。とりあえず周りに便乗して、“ステイホーム”とか発信しないと乗り遅れちゃう!みたいな芸能人とかスポーツ選手みたいなタイミングで、あんな毒も何もない作品を発表するなんて。あれって本当にバンクシーなの?
※と、ほとんど何も調べずに文章を結んだあとでバンクシー最新作で検索してみるとこんな記事が。深すぎる。バンクシー先生、おみそれいたしました。
イジメられる原因があったとしても、イジメる理由にはならない。以上。
こんな記事を目にしたので、色々考えてみた。イジメについて、加害者、被害者、傍観者として、全く関わったことのない人は、ほぼゼロなんじゃないですかね。
個人的な意見としては、タイトルで大体終わってます笑。仮にいじめられる原因があったとしても、いじめる理由にはならない。これが全て。いじめる方が極悪。家庭環境とか関係ない。
このプレジデントの記事については、子供達は「襲われたのは、女性が露出度の高い服を着ていたせい」、と同義のことを言っているので、まず論外。教師は子供の議論のすり替えに対応できておらず、力量不足。本テーマはSNSではなくイジメ。教材選びに失敗してますよね。
目次
自分のイジメ経験について
自分で言うのもなんですが、どうやら感受性の強い子供だったらしく、それなりにイジメられやすい性格でしたね。幼稚園ではよく泣かされてたみたいですが、正直アレがいじめだったのか記憶はなく…、ただの泣き虫だったのかも知れません。
4歳の頃、父親の転勤に伴いイギリスに引っ越しました。現地の学校なので、当初は言葉がわからず、また黄色人種ということもあり、やはりからかいの対象ではあったみたいです。椅子に座ろうとしたら、直前で椅子を引かれたり(鈍いので最初目測を誤ったと思ったのですが笑)。母親曰く、校庭で集団で囲まれて蹴られたりしてたらしい?この記憶は全くないので、親の見違いか、自分が都合をの悪いことを忘れているのか。
いずれにせよ、母親はその光景を見て、涙を流したそうです。
被害者が転校するべき?加害者を転校させるべき?
親が下した判断は、自分を転校させることでした。当時は仕事の都合としか聞いてなかったので、赤レンガの綺麗な家から離れる寂しさしか覚えてません。親の心子知らず笑。
転校先では英語に慣れたこともあってか、特にイジメられることはありませんでした。勉強もスポーツもそこそこできたので、ちょこちょこ問題は起こしながらも、それなりのポジションを築き、親友と呼べる友達もできました(金髪で青い目のイケメン・ルーク。元気にしてるかなぁ笑)。
つまりこの場合、転校を選んだ両親は正解だったと言えます。当時、子供がイジメられたら転校なんて概念がどれだけあったかは知りませんが、素早い判断、英断ですよね。本当に感謝してます。
ただし、イジメられたから引越・転校というのは、それなりに時間的、金銭的に余裕のある家庭しかできないと思います。そして被害者がそういった負担をしなければならないことにも、疑問が残ります。昨今ではイジメた側を、隔離・転校させるべきとの議論もあります。どの程度を隔離すべきとするかは判断は難しいですが、より深く議論して、制度を整えていくべきですよね
自分のイジメ経験について2
小学校低低学年の時を除き(あまり覚えてないけど)、いわゆるイジメのようなものには、遭遇していないと思います。中学くらいになると、性格上ちょっと不良とか先輩に目を付けられて殴られるぐらいはあったりしましたが、周囲の助けもあって、大事に至ることはありませんでした。
ちょっと印象的だったのは、恐らく近所に住む中学の先輩が、自分の家の鉢植えの土を、郵便受けに投入したらしい?のですが、何ソレって感じですよね。陰湿この上ない。不良ぶってるなら、せめて怒鳴るか殴るかすればいいものを。
いじめの定義について
ちなみに文部科学省のイジメの定義についてですが、 平成18年までは「自分より弱い立場のものに対し、心身への苦痛を与えた場合」と、定義されているので、上述の先輩に対して、私は自分より雑魚と考えていたので、イジメに該当しないらしい。納得いかない。
平成18年の改正で“自分より弱い立場”の文言が撤廃されたので、ようやくイジメ認定されるかと思いきや、「ポストに土入れる」というショボい行為に対して、自分がどれだけ苦痛を感じたか甚だ疑問なので、やはり認定は厳しいのではないか。納得いかない。
あまり糾弾すると“弱いものイジメ(笑)”になっちゃうので、ここらで止めておこう。
いじめの定義について〈参照〉
イジメられる原因、イジメる理由
イジメられる原因なんて無数にありますよね。ってのが下記リンクの一文に良く表されてます。
「いじめられる方にも理由があると言う人もいるけど いじめたい人が いじめる理由が欲しいだけだと思う」↓
気に入らない人がいても、関わらなければいいだけなんですけどね。学校の教室という閉鎖空間だと、それも難しいのかも知れないけど。何にせよ、誰にだって間違って人を傷つけてしまうことはあるとは思います。
しかし、「徒党を組んだり、継続的に」誰かを傷付けることは、間違いでは済まされない。計画的かつ確信的ですからね。
あと自分はいい家庭に育ってきてなんですが、“家庭環境”も理由にならないと思います。よろしくない家庭に育っても、マトモに生きてる人なんていくらでもいますから。普通の家庭に育って、イジメの加害者になる方もいますし。統計は知りませんが、関係ない。イジメの被害者にとっては、全くもって関係ない。
下記のリンクの方の、加害者側の体験談はある程度客観的な気もします。要は自分がターゲットになりたくないから、あらかじめマトを作っておくのだと。ここら辺の心理的なメカニズムは、大人側が理解しておくべきかも知れません。
まとめ ーイジメにどう対処するかー
一応自分は加害者ではないつもりなんですが、まあ口数も多いし、人傷付けたことはままあると思います。今は大人(ってかオッサン)なので、指摘されれば謝罪はしますし、納得できなければ反論はしますし、理性的に対処はできるかなと。でも子供にその立ち回りは難しいですよね。よって前半で書いたように、 対症療法が難しい段階だったら、どちらかを隔離するのは有効だとは思います。本人に奮起を期待するのは酷ですので。逃げるのは役にたつし、まして恥では決してない。エヴァ初号機碇くんも逃げていいよ!
Wikipediaのイジメの項目を読んでて、おやと思ったのが、セクハラやパワハラも広義にはイジメなのだと。会社においては、クラッシャー上司や先輩は、大問題ですよね。絶対どこの組織にもいるし。自分はたまたま当たったことがないのですが、もし当たったらやってみようと思うことが二つ。
一つは怒鳴られたら、同じ声のボリュームでお話をさせていただく(笑)。二つ目は、内容に問題があると判断された場合、これ見よがしにボイスレコーダーを見せた状態でお話いただく(笑)。
まぁ強行手段に出る前に、懐柔した方がいいには決まっているのですが。友人の話を聞くと、どうもそれどころではない方もいらっしゃるみたいなので。
クラッシャークラッシャーになってみたい。
誰かやったことある方、いらっしゃいます?笑
リベンジポルノ画像を流出させる人間の精神性について
一昔前から世間を賑わせている、リベンジポルノ画像の流出などの問題についてですが、自分は芸能人などの画像とか見ると、「おお、すげーな。あの娘がこんな…!」ぐらいな感想しかありませんでした(HKTの指原莉乃とか、古くは奥菜恵とか)。
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通信環境の拡充、個人化
インターネットの発展やSNSの隆盛によって、こうした被害が一般人に及ぶに至り、昨今では、“裸撮らせちゃダメ!絶対!”みたいな注意が、特に低年齢層向けに発信されてます。
まぁそうした注意喚起も大事だとは思うんですが、写真なんてある意味防ぎようがないじゃないですか。撮らせてあげるのを止めても、機器も小型化してるし、いつ撮られてるかなんて分かりゃしない。
ので、やはり気になるのはココだ。
手に入れた写真で、一人楽しむのはまだ分かる(盗撮はダメですよ)。
なぜわざわざバラまくんだ?
この歪んだ精神が、理解しがたいですよね。
恋愛感情のもつれ
リベンジというくらいなので、大方フラれた腹いせといったところだろうか(Winnyみたいなソフトで、意図せずに流出ししまったものなどを除いて)。
そりゃよく分からん理由でフラれたりしたら、腹も立つし、落ち込むこともあるだろう。でも、恋愛ってそんなもんじゃん。ある程度、時間が経過したら、よし次!ってなるのが、通常だと思うんですよね。手元にそんな写真があったとしても、バラまいてやれとか、全く思わん。一人で楽しみます。
さて、ではどんな人間がリベンジしちゃうのか。
それはやっぱり、プライドの高いヤツなんでしょうね。しかも男。俺がフラれるなんてオカしい、みたいな。理解できないみたいな。
でもさ、先程も述べた通り、恋愛なんて水物で、理屈や理由なんて別にないんですよね。しかも女性は感情的。一旦思い込んだら、なかなか思い直すことはできないんですよね。結婚くらい別れるハードルがあれば別だが、恋愛なんて特にね。この辺りの感情VS理性の辺りも、リベンジするのが男だけな理由の一つかも知れない(男のそんな写真に価値がないってのもそうだが笑)。
まとめ
さて、ここらで結論だ。
ではリベンジをガードするには、どうしたらよいか。
それは、プライドの高すぎるヤツとか、承認欲求が強過ぎる輩とは、そもそも付き合わないことっ!!笑
うん、全然異論は認めるよ。皆様、ご意見くださいね♪
Me Too(私も) に対する、ちょっとした違和感
セクシャルハラスメントに対する、me too論議に関しては、ほぼ賛同しますが、一部違和感も感じていました。
あってはならない性被害や性暴力が、大昔からは減少しているのでしょうが、今なお存在していることは、紛れもない事実です。この度の論争が、中々口に出せなかった性的な被害を、明るみに出したことは、疑いがないでしょう。
少し危うさを覚えるのは、セクハラと言われてしまえば、加害者と名指される人には、ほぼ弁解の余地がないように感じること。痴漢の冤罪と似たようなものですかね。あとは、セクハラと感じるかどうかは、個人の主観に大いに委ねられるということ。若いイケメンと冴えないオッサンでは、相手の受け取り方は、179度くらい変わりそうですね(ただ、男の自分の印象でも「それはセクハラだろ」と感じる発言をするのは、おじさまに圧倒的に多いように感じます。何か相手と親しげに話すためにやってるみたいなんですが、要はヘタクソなんですよね。)。
またセクハラという言葉自体の定義づけが曖昧。上述したように、線引きが難しいし、逆に明らかな性犯罪のような事案も、ハラスメントで済まされてしまうような。性暴力はれっきとした犯罪なので、法律に従い、厳罰を以って望むべきです。
ハラスメントの意味は、<嫌がらせ>。
学校や職場でのいじめ。上司の威圧的な言動。働かずに同僚に迷惑をかける。子どもが出来ない人に、家族の話ばかりする。公共の場所で他人に迷惑をかける。全部<ハラスメント>です。
セクハラに限らず、人の嫌がることは辞めましょうって思うんですが、それじゃ議論がぼやけてしまうんですかね。