ザ本ブログ

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白バラの祈り ゾフィー・ショル、最期の日々 /マルク・ローテムント監督

全く後味のいい映画ではない。でも、強烈に忘れられない印象を残す。

ナチス政権下で、その残虐非道に関する反戦ビラを作って撒いた学生たちが、反逆罪でゲシュタポに捕まって処刑されるまでの4日間を描いた作品。

2005年ベルリン国際映画祭、監督賞、女優賞受賞。

 

心が弱っている人は、見ない方がいいかも。女子大生ゾフィーが執拗に尋問されていて、見ているこっちが詰問されてるみたいで辛いぜ。。

 

尋問中のゾフィーからの反論で、ナチスの行為が明らかになる場面がある。

ヒトラーを擁するナチスが、ユダヤ人を虐殺したことは何となく知っていても、障がいを持つ子どもまでをも殺していたとは知らなかった。優生思想半端ない。

ただナチスというと、人類史上最悪の組織のようなイメージがあり、ある部分ではそれは間違っていないのかも知れない。けれども、史上あらゆる場所で差別や残虐な行為を行われてきており、現在でもそれは決して無くなってなどいない。

大規模な組織立った弾圧行為をナチスが行っていたのは事実であり、それが歴史博物館上際立ってはいるものの、こうした行為と自分が無縁だと思ってはいけない。

いじめや差別、様々なハラスメント、そうした無自覚な行為の延長に、虐殺のような残虐行為は繋がっているのだ。

自分が今置かれている立場、国、組織が全てではない。一歩距離を置いてみたら、自分の考えや物の見方が固定化されていることに気づくかも知れない。

ナチスゲシュタポも、全員が悪党なわけでもない。強制収容所の看守もヒトラーでさえも。それほど、環境や組織が個人の心を縛る力は強いのだと思う。また、悪法と気づきつつ、自分や家族への災禍を避けるため、やむを得ず従い続けることも、おいそれと批判はできない。環境が人の行動を束縛し、エスカレートさせるのは、監獄実験で有名ですよね。

 

ゾフィーは作中で、自分を尋問するゲシュタポの刑事モーアや、裁判に同席したナチス高官達に、言葉によって何かの気づきを与えていたのは間違いない。

気付く感性や良心は大事だ。そして、気づいてから行動することは、もっと大事だ。

でもその行動の起こし方は、千差万別でいいと個人的には思う。誰もがゾフィーやハンスみたいに強い意志を持てるわけじゃない。同じ反戦メンバーだが、子どもがいるプロープストは、死刑宣告の際はショル兄弟と違って震えていた。また判事に命乞いをしていた。でも、それは恥ずべきことではない。置かれた立場も、生きてきた背景も、生まれ持った能力も、人それぞれなのだ。

 

その時動けなくても、いつか挽回すればいい。生き延びて、過ちを正す道もある。

ただ、手遅れにだけはなってはいけない。人生は有限だし、いつ死ぬか、いつ動けなくなるかは誰にも分からない。