ザ本ブログ

読書をメインに。他、雑記などをアップしていきます。

津波の霊たち / リチャード・ロイヤル・パリー

2011.1 以来、定期的に津波やそれにまつわる著書を読んでいる。決して義務的にではなく、本屋やネットで目に止まったら購入する感じ。自分は震災の影響をほぼ受けることなく生活できたが、自国の、自分が訪れたことのある場所で、あれほどの惨劇が起こった事実を、多分ほとんど受け止めることができていない と思う。

 

日本在住の外国人ジャーナリストが、被災者一人ひとりに取材を重ね、少しでも多くの事実を拾い上げること試みた本著。

テレビやネットニュースでは取り上げられない、多くの事実を知るこができた。それは、痛ましいと一言で表すのは憚られるひたすら圧倒的な自然の暴力の事実だった。人一人が抗うなど到底できようもない。なので、 抗うのではなく、避けるためのインフラやシステムを構築するため、何が起きていたかを知り、記録として残す必要がある。

 

避難の不手際で、大勢の子どもが亡くなった大川小学校の真相を知るには、まだまだ時間がかかるだろう。一度は津波に巻き込まれながら生還して、級友を多く亡くしながら、しなやかに生きる少年の姿は心に迫るものがあった。

虚言を重ね、保身を図ろうとする先生は、 きっと生徒を見捨てて逃げたのだろうと思う。子を亡くした親からすると、 殺しても飽き足らない相手だろう。ただ完全な第三者の自分からすると、全ての生あるものを飲み込む黒い水が自分に迫ってきたら、正気でいられるとは到底思えない。

 

生還した人の証言の中で、役場の防災課の人がとりわけ衝撃的だった。二階まで押し寄せた黒い水が室内を完全に満たし、人間は天井に押し付けられる。水が引くと同時に、室内の人間は水と共に窓から投げ出された。その瞬間、隣の窓から放り出される同僚を目撃したという。

瓦礫に捕まって漂流を始めてからが、本当の地獄だった。 冷水に浸かりずぶ濡れで、瓦礫 の上に乗っても、吹雪に体温を奪われる。外海に流されそうになりながらも、運よく陸地に流され、知り合いに救助された。一方で、 同じく窓から投げ出された同僚は溺死でなく山の方に流され、 そこで凍死した。

翌日、生還した男性が役場に行くと、自分が部屋に避難させた人たちの遺体が、瓦礫に引っかかっていたりして一面に散乱していた。辺りにはかすかな音もなく、男性はただ恐怖した。

 

津波の悲惨さについては、枚挙にいとまがない。その中で、 本書には2点、異質な話があった。

 

一つ目は、震災で亡くなったと思われる動物の霊に憑依された男性の話。

東北在住のこの男性は、直接災害の影響は受けなかった。被災地からはそれほど離れてい なかったので、震災後のある日、物見遊山気分で近辺をドライブした。買い物をしてアイスを食べ、 海岸を目指す。津波の到達地点辺りから、景色が現実のものでないような印象を受けた。

その日は何事もなく帰宅した。が、翌日から異変が起きた。

四つん這いになって、よだれを垂れ流し唸りだす。罵詈雑言を言い放つ。 外で泥だらけになって暴れる。暴れている様は、波に揉まれているようだったという。 困り果てた家族が近隣の寺の通大寺に連絡をし、除霊の儀式を行うと、症状はなくなった。住職は、物見遊山に被災地を訪れた男性を叱った。住職曰く、男性は非常に純粋な人だという。それが故、この世ならざるものを引き付けやすかったのだと。

 

二つ目は、30人の霊に憑依された女性の話。 現代人からしてみると、 憑依現象などとはとにかく胡散臭く、 オカルト物の域を出ないと感じる人が多いだろう。

しかし自分は、このエピソードを読んで、死生観が覆った。自分の固定概念を見直さざるを得なかった。

女性は元々憑依体質だったという。物心付く頃から、生きている人間と区別が付かないくらい霊が見えていた。そして常に数人に憑依されていたという。それが精神病なのではな いかと、ずっと悩んできた。

ただ、震災前まではその状態をコントロールできていた。 震災後、一年ほどすると被災地 を巡礼する人が増え、その人たちが霊を街に連れ帰る。すると、女性の身体を乗っ取ろうとする霊が増え、完全に抑えが効かなくなった。女性はそれを “死者が溢れ出す” と表現した。

侵入しようとする霊を拒むのに疲弊した女性は、藁をもつかむ思いで通大寺に助けを求め、そこから10ヵ月に及ぶ除霊の儀式が始まった。

ほとんどの霊は津波での死を受け入れることができていないため、新たな除霊の度に、女性は溺死を追体験しなければならなかった。

年齢も性別も様々だった。震災以外が死因の霊もいた。彼女の憑依を信じざるを得なかったのは、あまりにもバリエーションが多く、その全てが本人しか知りえない状況を霊が語るからだ。

原発からの避難の際に、置き去りにされて餓死した犬の霊の除霊の際は、普通の体格の女性が、大柄な男性数人を吹っ飛ばしたという。 演技や思い込みで、どうなるものではない。 反動で女性が数日寝込んだのも、本人の能力を超えた動きを憑依でさせらている点でリアリティがある。

身勝手な男性の霊に住職が怒ることもあれば、少女の霊を送り出す時には、支える住職夫人が涙した。その全てが、事実としか思えなかった。

自分は人間は死んだらチリになるのだと思っていた。「死んでも終われない」。これって地味にショッキングなことですよね。 成仏する描写では、 自我が途絶えていくものとも思えたが・・。

 

とにかく、事実を追求する姿勢のジャーナリストの著書の中で、 この二つの話は毛色が違っていた。 特に憑依体質の女性については、もっと知りたいと思っていた。

そして、見つけてしまった。 本書の数年後に、別の日本人ジャーナリストが彼女を直接インタビューを行い、一冊の本にしていたのだ。 それについては、また後日述べたいと思う。

星のロミの漫画村事件にも言及 「暴走するネット広告」 / NHK取材班

もうネットを全く見ない日ってなかなかないですよね。ってことは、少なからず毎日目にしているのが、“ネット広告”。

 

yahooのトップページに出てるような、ある種ちゃんとした広告も多くあると思いますが、色々とネットサーフィンしてると、怪しげな広告が表示されることも多々ありますよね。

 

以前だったらエロサイトとか、いかにも怪しげなページに表示されることが多かったと思うんですが、今は普通の例えば個人のブログとかそういった場所にも、色んな広告が掲載されるようになってます。

 

よく目にするのが、ダイエットとか美容の広告ですね。エロほど表示するのにリスクがなく、ジャンルも化粧品からサプリまでと幅広く、引っ掛けやすいんでしょうね。

まあ効果云々はおいといて、“あの芸能人も使っている!”とか語っているのは、違法の可能性が高いですね。

本書によると、芸能人本人の許諾を得ていないものがかなり多いらしいです。

 

なぜそんなことになってしまうのか。多くの広告は自分のHPに掲載するならともかく、代理店などを通して、不特定多数のページに掲載する形になっている。いくつもの下請けを通すうちに、広告主の企業が、どこに自社の広告が掲載されているのかを追跡するのが困難になるらしい。

新聞を越え、今やテレビの広告料を抜き去るのが確実な、ネット広告の世界は、未だシステムの段階では未開発で様々な課題を抱えている。

 

もう一つ興味深かったのは、あらゆるマンガを違法に掲載していた“漫画村”の件。サイト運営者を追跡してアメリカのアリゾナ州から、果てはウクライナのサーバー会社までに行き着く様子を見ると、以下にネットの中での追跡作業が困難か思い知らされる。日本の銀行や大企業も、自社では全く追いきれてないわけですからね。

本書の段階では逮捕されていなかったが、後日漫画村の経営者、星野ロミはフィリピンで捕まってましたよね(偽名じゃなかったことには驚かされたが)。ただ、漫画村の件は違法掲載の問題と同時に、日本がマンガという文化を、週刊誌や単行本以外で、どう収益化し、製作者達の生活を守っていくかという課題を、突きつける形にもなったと思う。

 

こうしたネット犯罪を取り締まるには、ウィザード級ハッカーとかじゃないと無理じゃね?って気がしちゃう。すいません、最近攻殻機動隊を見ているもので笑。

 

介護に携わる方の本を読むと、いつも考えてしまいますよね。自分の親が倒れたら、どうしようって。  『ママを殺した』 / 藤真利子

いつかは誰しも訪れるはずなのに、なぜか考えたくない。自分の親は、自分は大丈夫と思おうとしてしまう。老いという現実から、目を逸らしてしまう。

 

また、老いを残酷たらしめるのは、個々の事情や考え方やその経過が、幾通りもあり、正解と呼べるものが、何一つないということだ。

 

昨今では美魔女などという言葉があり、若さを保つことに血道を注ぐが、果たしてそれは自然なのだろうか。個々の家庭の財政事情で、介護の質は変わってくるだろう。ポックリ死ぬのがラクでいいように思えるが、残された家族は、突然の別れに、何もしてあげられなかった想いに苛まされはしまいか。

 

またはこの本の作者の、藤真利子さんのように、壮絶な介護の果てに、本当はもっと楽に自然に逝かせてあげて良かったのではと、後悔することもあるだろう。

 

正解はない。ただ、備えることで、少しでも互いの納得に近づけていくことは可能ではないだろうか。途中で結論が変わってもいい。しかし、少しでもお互いの考えを知っておくことが、より良い終末を迎える、微かな標になるだろう。

死体鑑定医の告白 /  上野 正彦

長年司法解剖を行ってきた死体監察医が、いくつかの事例を踏まえて、その仕事の内情を著した著作。

 

語り口は淡々としており、努めて冷静に、丁寧に一つ一つの事案について解説しようとする意志が伺えます。分かりやすく記述されており、文字数も詰まってないので、とても読みやすいです。

 

日本に於いては、司法解剖が必要とされる遺体の検死が充分に行えていない現状があります。そのため、死因不明の事案が多数出てしまっている。命を失っただけでも悲劇なのに、その上明確な理由が分からず処理されてしまったら、悲劇の上塗りになってしまいます。ましてや、それが理不尽にも誰かに奪われてしまったものであったら・・・。文字通り浮かばれません。

 

作者はこの現状に警鐘を鳴らし、不正確な死因で処理されるところだった事案を、精密な検証で覆した例などを紹介します。「生者はウソを付くが、遺体はウソを付かない」。身も蓋もないないようですが、それも一つの真実でしょう。

 

このような著作で、監察医の仕事に興味を持つ人が出てきたら、喜ばしいですね。また、警察や弁護士を目指す方には、必読の作品だと思います。

魂でもいいから、そばにいて─3・11後の霊体験を聞く─ / 奥野 修司

霊とか超常現象とか、オカルトものが結構好きです。怖いもの見たさというよりかは、目に見えるものだけでは、世界はつまらないと感じるから。ってか、それだけのハズがないし。

 

何せ宇宙の果ても起源も分からないし、人体の中でも働きの分からない部分は多数ある。不治の病もあれば、意識や魂の存在も未解明。植物の栽培はできるけど、ゼロからは草1本つくれないですもんね。このように、科学はこんなに不完全。

 

その割に、現在はかなりの科学至高主義。再現及び検証可能なものが、科学的と呼べるのですが、何もオカルトじゃなくたって、再現不可能なものは、無数にあります。例えば一人一人の人生とか。人はいつでも、唯一無二を生きている。

 

本作では著者が3.11の震災後の地域を訪ねて、不思議な現象を体験した人から、体験談を収集しています。震災当初より、書籍化される前から、被災地での霊的体験は、気にはなっていました。それがこの度、著者の丁寧な聞き取りにより掘り起こされたので、本作の出版に気付くと即買った次第です。

 

霊的現象が苦手な人には、少し辛い部分はありますが、本作は怖いというよりかは、津波によって大切なものを失った人達が、霊魂との交流によって、幾ばくかの救いを得るエピソードがメインです。それはもの悲しくも温かい、不思議な話ばかりでした。

 

無粋な見方をすると、霊的体験の中には、電気的なものが多かったように思われます。亡くなったお子さんのおもちゃが動いたり。携帯にかけたら、出ないはずの本人が出たり、メールが届いたものもありました。夢枕に立ったり、映像が脳裏に流れ込んだりと、昔ながらの現象もありましたが、人間の思考が電気信号である以上、物理的に存在しないものを、脳に干渉してあるかのように見せることは、あり得るのかなと思いました。

 

阪神大震災に比べて、東日本大震災では、この手の話が多かったと聞きます。柳田国男の‘遠野物語’にもあるように、東北の土地柄やそこに住む人の人柄が、この世ならざるものとの親和性が高いのかも知れません。またまた無粋に表現すれば、土地の磁場が高く、住人たちの電気的なものをキャッチする受容性が高いのかも。

 

このような現象を、ちょっと不思議は話で終わらせてしまうのは、勿体ないような気もします。近しかった誰かを、喪ってもなお、夢にまで見るほど大事に思う感性を、現代都市の人間は持ち続けていることはできているでしょうか。人の死すら目にすることが減った都市部の人間は、本当はそこかしこに満ちている、‘目に見えないもの’への畏敬の念が損なわれてはいないでしょうか。

 

身近なものを、心から大切に思う共同体を保ち続けた東北は、復興の支援を受ける側に留まらず、本来の共同体の在り方を学ぶべき土地なのではないかと、本書の体験談を語った人たちから、受け取った気がします。

 

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