ザ本ブログ

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ボイジャーに伝えて / 駒沢敏器

 作者の没後、その才能を惜しんだ人たちが有志で出版に至った作品。この作者の作品はほとんど読みましたが、〝どうしたら自然を、全身であるがままに感じることができるか〟を、常に生涯をかけて模索している人なんだな、との印象を持っています。紀行文や短編が多く、長編については未知数だったので、作者の遺志を継いで出版してくれた人達に感謝。読後感はとても不思議で、でも暖かな気持ちになる作品でした。あと、タイトルも好きです。
 

 主人公は音楽制作会社に勤めるOL。友人に誘われて訪れたライブで、不思議な印象を残すヴォーカルを目にする。曲も特徴的で、歌詞はなく、彼方に響かせるような音色の演奏のみ。最後にたったひと言口にした歌詞も、目の前の聴衆に向けたものには思われなかった。友人のつてで、打ち上げに参加する流れになり、件のヴォーカルと音楽全般について会話を交わす。音楽業界に身を置く自分からしても、彼の知識は豊富で感性は鋭く、それなのに控えめに話す姿に好感を持った。

 ほどなくして二人は付き合い始めるが、直後に彼は職を辞して、全国へ自然の音を採取する旅に出るという。二人の今後に不安を持ちつつも承諾し、日本各地から送られてくる、彼が録音した自然音に、身を浸す日々。初めのうちは、都心に住む身では感じることのできない自然の豊穣な音、そして土地土地で、こんなにも音色が異なるのかと感銘を受けながら聞いていた。しかしいつからか、彼が採取する音に、恐れにも似た違和感を抱き始める。まるでヒトと自然の境界が曖昧に感じられるような・・。生死の境が緩やかな自然の領域に、人としてどこまで入っていくのか、戻って来られるのか。彼は何に惹かれているのか。

 彼の求める音が、死の領域側にある確信を深めつつも、時折交わすメールだけでは、その疑問まで切り出せずにいた。彼の旅が沖縄にまで到達した時、初めて二人は旅先で合流する。沖縄の聖域とも言える、斎場御嶽を訪れた時、ようやく彼の核心に近い部分に触れることができた。どうして向こう側の世界に惹かれているのか。かつて彼は神戸に住んでいたという。

 95年、阪神淡路大震災。彼はそこにいた。

 

 十数年前が舞台ですが、作者の関心がスピリチュアルな方面なので、隔てられた期間で色褪せた印象は受けません。やや感性的な部分をどう受け止めるかは、初めて駒沢敏器を読む人間は、受け止め方が分かれそう。土地や自然の描写は相変わらず秀逸というか深淵というか。同じ土地を訪れても、全くここまで触れるこができていない自分を、毎度悔しく感じます。長編慣れしていないせいか少し拙く感じる部分もあり、あとがきではかなり苦悩した部分もあることが記され、もしもご存命であれば、より手直しをしたかっただろうなぁと思います。
 経済合理性、あるいは浅く縁どられた価値観に、本質を見失いがちな現代に、気づくきっかけをもらえた気がします。本質とは何なのか、なんのきっかけなのか。答えではなく、各々が己自身の身体と感性で何かに迫る、そんな感覚を。誰もがパターン化された日常や常識を脱ぎ捨て、それぞれが思う方法で自然や世界に飛び込んで、閉ざされた感覚を開くことができるのではないかと、そんな問いかけをされている気がします。