想像ラジオ / いとうせいこう

何気ない日常は中々描かれない。何気ない死はもっとだ。そして‘何気ない’とは、‘かけがえがない’ということ。

 3.11は風化しつつある。或いは原発などのトピックに集約されつつある。〈死者を抱き締める〉とは前向きな思考ではないかも知れない。ただ前を向くということは、忘れ去ることと必ずしも同義ではないだろう。

 私たちは背負うこと、背負わせることに無自覚だ。貧困を、リスクを他者に押し付け今を享受する。失われた人々に思いを馳せることもなく。

 〈死者と生者が抱き締めあう〉ことができなければ、生者と生者が手を取り合って前に進む日も訪れないのかもしれない。

  

 

読書について / ショーペンハウアー

とにかく、同時代の作家にありようについての罵詈雑言に終始していた笑。気にかかる部分としては、読書のし過ぎについて、警鐘を鳴らしていたこと。

 

時間を惜しんで読書に耽れば、博覧強記の知識人にはなれるかも知れないが、自分の感性で物事を考える精神が失われるとのこと。

 

自分にも少し心当たりがありまして、月に4、5冊は本を読むんですが、最近は表紙を見ても、内容があまり思い出せないこともチラホラ(歳のせいとは思いたくない汗)。映画とか見ても、ある程度数をこなしてくると、ストーリーを先読みしちゃったり、感動できることが減ってくる。

 

どんな人間になりたいのかにもよるが、もう少し一つの作品に集中して、感受性を取り戻したいなと思って、書評などを書き始めた次第です。

死体鑑定医の告白 /  上野 正彦

長年司法解剖を行ってきた死体監察医が、いくつかの事例を踏まえて、その仕事の内情を著した著作。

 

語り口は淡々としており、努めて冷静に、丁寧に一つ一つの事案について解説しようとする意志が伺えます。分かりやすく記述されており、文字数も詰まってないので、とても読みやすいです。

 

日本に於いては、司法解剖が必要とされる遺体の検死が充分に行えていない現状があります。そのため、死因不明の事案が多数出てしまっている。命を失っただけでも悲劇なのに、その上明確な理由が分からず処理されてしまったら、悲劇の上塗りになってしまいます。ましてや、それが理不尽にも誰かに奪われてしまったものであったら・・・。文字通り浮かばれません。

 

作者はこの現状に警鐘を鳴らし、不正確な死因で処理されるところだった事案を、精密な検証で覆した例などを紹介します。「生者はウソを付くが、遺体はウソを付かない」。身も蓋もないないようですが、それも一つの真実でしょう。

 

このような著作で、監察医の仕事に興味を持つ人が出てきたら、喜ばしいですね。また、警察や弁護士を目指す方には、必読の作品だと思います。

魂でもいいから、そばにいて─3・11後の霊体験を聞く─ / 奥野 修司

霊とか超常現象とか、オカルトものが結構好きです。怖いもの見たさというよりかは、目に見えるものだけでは、世界はつまらないと感じるから。ってか、それだけのハズがないし。

 

何せ宇宙の果ても起源も分からないし、人体の中でも働きの分からない部分は多数ある。不治の病もあれば、意識や魂の存在も未解明。植物の栽培はできるけど、ゼロからは草1本つくれないですもんね。このように、科学はこんなに不完全。

 

その割に、現在はかなりの科学至高主義。再現及び検証可能なものが、科学的と呼べるのですが、何もオカルトじゃなくたって、再現不可能なものは、無数にあります。例えば一人一人の人生とか。人はいつでも、唯一無二を生きている。

 

本作では著者が3.11の震災後の地域を訪ねて、不思議な現象を体験した人から、体験談を収集しています。震災当初より、書籍化される前から、被災地での霊的体験は、気にはなっていました。それがこの度、著者の丁寧な聞き取りにより掘り起こされたので、本作の出版に気付くと即買った次第です。

 

霊的現象が苦手な人には、少し辛い部分はありますが、本作は怖いというよりかは、津波によって大切なものを失った人達が、霊魂との交流によって、幾ばくかの救いを得るエピソードがメインです。それはもの悲しくも温かい、不思議な話ばかりでした。

 

無粋な見方をすると、霊的体験の中には、電気的なものが多かったように思われます。亡くなったお子さんのおもちゃが動いたり。携帯にかけたら、出ないはずの本人が出たり、メールが届いたものもありました。夢枕に立ったり、映像が脳裏に流れ込んだりと、昔ながらの現象もありましたが、人間の思考が電気信号である以上、物理的に存在しないものを、脳に干渉してあるかのように見せることは、あり得るのかなと思いました。

 

阪神大震災に比べて、東日本大震災では、この手の話が多かったと聞きます。柳田国男の‘遠野物語’にもあるように、東北の土地柄やそこに住む人の人柄が、この世ならざるものとの親和性が高いのかも知れません。またまた無粋に表現すれば、土地の磁場が高く、住人たちの電気的なものをキャッチする受容性が高いのかも。

 

このような現象を、ちょっと不思議は話で終わらせてしまうのは、勿体ないような気もします。近しかった誰かを、喪ってもなお、夢にまで見るほど大事に思う感性を、現代都市の人間は持ち続けていることはできているでしょうか。人の死すら目にすることが減った都市部の人間は、本当はそこかしこに満ちている、‘目に見えないもの’への畏敬の念が損なわれてはいないでしょうか。

 

身近なものを、心から大切に思う共同体を保ち続けた東北は、復興の支援を受ける側に留まらず、本来の共同体の在り方を学ぶべき土地なのではないかと、本書の体験談を語った人たちから、受け取った気がします。

【映画】インサイドヘッド

◼まだ幼い少女ライリーの中には、擬人化された5つの感情がある。ヨロコビ、カナシミ、イカリ、ムカムカ、ビビリ。互いに協調しながら、ライリーの人生をより良いものにしようと、少女の中で奮闘する毎日。

 

そんなある日、ちょっとしたアクシデントから、ヨロコビとカナシミが司令部(ライリーの感情を司る場所)から、はじき出されてしまった!カナシミはともかく、ヨロコビの感情が抜けたライリーの日常の息苦しさは、想像に難くない。
ヨロコビとカナシミの、司令部へと帰還する旅が始まった。■


おもちゃを忘れて、大人になっていく過程を描いた、『トイストーリー』を彷彿とさせますね。ただし、テーマが“感情”なので、こちらの方がより深い内容となっています。

 

物語前半部分では、主にヨロコビがライリーの人生を、幸せにしているように描かれます。子どもなので当然ことでしょうし、この時点においては、カナシミは常にネガティブで、ヨロコビの足を引っ張っているようにしか感じられません。

 

司令部へと帰還する旅の中で、ライリーの中には感情以外の様々なものがあることが分かってきます。それは忘れられた思い出であったり、幼い頃の空想の産物であったり。人間は、全てを覚えておくわけにはいきません。しかし、忘却され打ち捨てられた記憶でも、その時のライリーには必要であったことが強調されます。それが何とも、温かく、もの悲しい。おもちゃに限定された『トイストーリー』より、自分に取って‘刺さるなぁ’と思ったのは、記憶ってやっぱり人間の全てなのだからでしょうかね。

 

ヨロコビはライリーの記憶を辿る旅の中で、あることに気付きます。ある時、悲しんでいるライリーに、仲間が慰めようと集まってきて、結果的にそれが楽しい記憶になったことがあったのです。子どもならばともかく、成長の過程では、喜びだけでは得られないもの、乗り越えられないことがありますよね。ヨロコビは、悲しい感情が、人生に不可欠であることを知ったのです。

 

よく映像化したなぁ、という作品です。子ども向けのビジュアルと侮ることなかれ。
ぜひ、ご賞味ください笑。