身体が動かなくなることを越える、恐怖や絶望ってある? :癒されて生きる 女性生命科学者の心の旅路 /  柳澤桂子

 人間にとって、絶望とはなんでしょう。

 何かを失うこと、誰かを傷つけてしまうこと..。種々あると思いますが、その内の一つに、“病”があることは誰もが納得されることでしょう。

 

 井上武彦の「リアル」では、半身不随や筋萎縮性硬化症(ALS)のキャラクターが登場し、それぞれの絶望や戦いが描かれます。この著書の作者も、原因不明の病によって、日常生活もままならなくなってしまいます。

 

 自分(或いは多くの人?)が、どうしてこんなにも人の苦悩や絶望に関心があるのかと考えますが、単に怖いもの見たさとゆー嫌らしい一面の他に、そんな(絶望)時こそ人間の本性が垣間見れる、と考えているからではないかと。

 

 日常でちょっといい人だとかなんとかって、嘘っぽくて興味ないんですよね。余裕があるから優しく振る舞えるだけで、多少追い詰められれば、誰しも少なからず人が変わるでしょう。それがいいとか悪いじゃなく。だからこそ、ゆとりを保つために色々を備えることは大切なわけでして。

 

 この本で印象的だったのは、若いときしかできないお金の使い方もある、との言葉。人間いつ死ぬか、病に襲われるはわからない。備えも大切だが、楽しめる時に楽しんでおくのが、いかにかけがえがないことか。

 

 無駄遣いは良くないけど、若さって本当に一時なんですよね。

悩まないってことは、人生をただ流してるだけだろ? : 人はなんで生きるか / トルストイ

 誰にでも、生きることとか哲学的な問題に悩んだことってあると思うんですが(ってか全くない人って話がつまらない)、自分にも20代半ばくらいに、そんな時期がありました。その頃は、人からの悩み相談を受けることも多かったような。30歳くらいを境に、とんと来なくなりましたけどね。初めての就職とか、婚活とか、とにかく初の自立でみな不安定になるのでしょう。

 

 自分は就職したものの、2年たたずに辞めてしまい、実家に戻ってぶらぶらしてました。飯は食わせてくれるので、切迫感はないが、性格上焦燥感もはないけど、なんか悶々してましたね。その頃はたまに友達と飲む以外は、部屋に籠って、宗教書とか哲学書などを読みふけってました。いいご身分だ。

 

 “なぜ生きるのか?”などと大層な命題の答えに、本を読むだけで、到達できるはずもない。答えは一人一人違うかも知れないし、そんなものはないかも知れない。仮にあったとしても、それは行動や体感を伴うもののはずだ。

 

 そんな時、たまたまトルストイの、『人はなんで生きるか』を読んだのです。タイトルに惹かれたわけでもなく、薄くて持ち運びやすそうだとの理由で、何となく読み始めました。表題作を、それほどの感慨もなく読み終え、家のトイレに入っている時にふと、《人は人のために生きる》というフレーズが、頭に浮かびました。

 

 それを宗教的体験と呼ぶのが相応しいかは分かりませんが(今日に至るまで自分は無宗教ですし)、その瞬間、「あ、これでいいじゃん」と思い、それまで思い煩ってた小さな悩みや疑問が、氷解してしまったのです。以降10年以上経ちますが、これと言って悩んだことがありません。迷ったら、人のためになる方、あるいは人が楽しんでくれる方を、選べばいいのですから。

 

 もちろん、何が人のためになるかも、考え方一つで変わってしまいます。経験不足により、独善的になってしまうこともあるでしょう。しかし、間違えたと思ったら、直せばいいのです。大事なのは、その時その時、何が人ためになるかを問い続ける心なのです。

アナ雪が流行ったワケ:【映画】アナと雪の女王 / ピクサー

 今更ながらに観賞。本当はもっと早くに観たかったのですが、主題歌がTVに街に溢れすぎて、耳が飽きてしまいました。ほとぼりが冷めた頃に観ようかと。

 

 映像はさすがのピクサー。人物の滑らかの動きもさることながら、時化の波の荒々しさや、雪山の荘厳さ、奥深さなどの自然描写が凄まじい。

 

 氷の女王の無双っぷりに笑いました。他のキャラに特段魔法の要素がないのに、なぜ一人だけあの出力なんでしょうね(^-^;。

 

 あとは予定調和的にストーリーが流れ、ラストが驚きの姉妹(家族)愛が男女愛を上回る結論。まあ自分より誰かを重んじれば、何愛でも良かったのかも知れませんが。女尊男卑かと思われるくらい、男が悪役で添え物に過ぎませんでしたね。これも時代か。

 

 にしても、アナの軽率さは異常(笑)。ろくに話してもいない王子に結婚を申し込み騙され、これまた関係の薄いとしか思えない姉に、命を張る。家族愛押しってあんまり好きじゃないんですよね。色んな家庭があると思うんで。血が全てに勝るわけじゃない。選べない家族より、自分で選択した人間関係が勝る場合だってある。そうじゃなきゃ、毒親を持つ人が可哀そう。ちなみにうちは至って平和ですが(^^)。

 

脱線しましたが、これほど流行った理由は、やはり主題歌にあったんですかね。どうしてもそこまでの作品には思えなかった。自分はピクサーなら「ウォーリー」が今のとこ一番好きですね。

自死推奨?!いやいや違うんです。 :【邦楽】生きていたんだよな / あいみょん

 何事も、予備情報なしだとインパクトが強いです。深夜のラジオから、植村花菜の“トイレの神様”が流れてきた時は、ちょっと感動しちゃいましたね。ただし、あの手の曲は何度も聴くものではない笑。まだ話題にもなっていなくて、深夜に自分だけ気付いて、独りかみ締める感じが良いのです。

 

 それはそうと、久々に衝撃度が強い曲に出会いました。あいみょんの、“生きていたんだよな”。ラジオで別の曲を聴いて、興味を持ち、適当にダウンロードしてたら、たまたま自分のプレーヤーに滑り込んできた。電車で初めて聴いたら、鳥肌が立ちました。

 

 自死をテーマにした、なかなか際どい曲なんですが、一見、自死を肯定しているように見えるのが、更にキワどい。死が、輝かしいばかりの自由への飛翔に感じられたり、とにかく“自殺はダメ”って言葉が一切ないんですよね。曲調もアップテンポで爽やかだし。

 

 しかしよくよく聴くと、死んでしまった人に、ただただ寄り添ってあげているんです。死ぬ人は、周りのことなんか、目に入らないくらい追い詰められて、盲目になっていることを認め、最悪の手段を選ぶ、最後の瞬間まで頑張ったんだよねと、当事者を否定しない。山岳マンガの“岳”の主人公・三歩の遭難者への、「よく頑張った」を思い出した。

 

 その寄り添う気持ちが、曲名の“生きていたんだよな”に、そのまま込められている。そしてサビでは、生きていたんだよなの“生きて”の部分だけが、リフレインされる。自死を、逃げともダメとも言わない。生きろとも言わない。でもこの“生きて”のリフレインの中に、本当は生きていて欲しかった、との想いが暗示されているのではないか(と、自分は勝手に感じた)。

 

 歌い手は19歳の女性ですが、そのことに驚くというよりは、ここまで純粋な言葉は、この年代の子にしか、創りだせないのかとも思いました。一聴の価値はありかと思います。