ザ本ブログ

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もう今までと同じ気持ちで、ハワイ観光はできない

 最近旅行というものの本質を考える機会があった。旅先で観光を楽しみ、ご当地グルメに舌鼓を打つのはリフレッシュや地方の経済振興にとても有意義なことだと思う。一つ考えるきっかけになったのは、井出明の『ダークツーリズム』を読んだこと。華やかな観光地を楽しみつつ、その地の悲しみの歴史に触れることは、より深く土地を知る充実感を感じられるだろう。

 ただ少し踏み込むと、自分は観光=経済が潤うと考えていたが、観光業単体では、それほど経済に寄与するわけではないこと知った。例えば沖縄を見れば明白だろう。多くの観光客を集めても給与水準は低く、生活保護の受給率も高い。また観光業は基本的に肉体労働で、得られるスキルも多様でなく、他の仕事に就こうと思ってもツブシが利かないとの側面もある。加えて、好不況の波を受けやすく、昨今はコロナのような疫病の影響も甚大であることが分かった。災害によって、宿のキャンセルが相次ぐニュースを耳にすることも多い。

    自分としては、旅行も観光も大事な楽しみではあるが、現地の人が多様な収入源や、スキルを身に付けられる業態に変えていかないと、将来的に持続が難しいのではと感じた。(例えばIT化で業務を効率化し、全国に発信できる商品の開発を行い、直接客が来なくても常に利益が得られる体制を作るとか。メタバース内のバーチャル体験で収益を上げるとか。)

 

 そして決定的にショックを受けたのが、駒沢敏器の『伝説のハワイ』。

 日本人として、ハワイと聞いて思い浮かべるものは何であろうか。エメラルドグリーンの海と、白い砂浜にヤシの木。どこか気だるいハワイアンミュージックにフラダンス。アサイーボウルやステーキなど。アメリカの州の一つで、リゾート地。それ以上の認識は何もなかった。そういえば世界史でカメハメハ大王とか習ったような。それらの多くが、アメリカによって強制的に併合・収奪された後の姿だったとは、思いもよらなかった。
 観光客があいさつ代わり程度に使っていた「アロハ」は、本来はハワイアンの重要なスピリットを顕す言葉だった。それは調和や自然との一体感などを示すものらしい。例えばキリスト教徒に、「アーメン」をこんにちは代わりに使ったら、どんな反応を示すだろう。それほど、リゾート化された「アロハ」は、ハワイの魂を踏みにじっている。
 彼らの主食はポイ(タロイモ)で、その畑(タロパッチ)を耕すことが、重要な営みの一つだ。よく手入れされたタロパッチは農薬も殺虫剤もいらず、長く恵みをもたらしてくれ、自然と調和している。農作業に疲れたら、その辺に自生しているマンゴーなどの果物を食べれば良い。

 本来のフラは火山の女神ペレに捧げるものだった。フラには何日も前から物理的・精神的に準備が必要で、現在のように対価を得て観光客に供されるものではない。祝い事や、特別な来客の時には、村をあげて宴(ルアウ)が催され、豚肉が振舞われた。昔はしょっちゅう行われていたらしいが、現在では年に1回あるかどうか。『伝説のハワイ』の出版が94年と30年前なので、現在ではもう見られないのかも知れない。

 

 何も旅行や観光の全てをネガティブに捉えようというわけではない。どんな土地にも、悲しみの歴史は少なからず刻まれているだろう。ただ、現在進行形で失われゆく文化がある場合に、その地を訪れる全ての人が、その土地の歴史や文化の本質に無関心でいいのだろうか。データや物は残せても、文化や生活様式が損なわれると、戻ることはない。本人達が変化を望んだのなら良い。ただ多くのハワイアンは、アメリカの強制的な支配で失われる文化を嘆き悲しんでいる。その収奪された土地のうえで経済活動を行う日本を含む国々も、そして観光客も、この事態に無縁ではない。

 収奪の先に訪れるのは、均質化だ。日本の地方都市を訪れると明白だろう。ロードサイドには、日本全国同じ大型チェーンが立ち並ぶ。均質化された土地を、訪れる意味がどれほどあるのか。旅行の本質がここで問われる。異文化、異質なものに触れ、自分の固定観念が取り払われる経験をすることが、旅行の醍醐味ではないのか。海やリゾートは至る所にある。しかしハワイ文化が消え去れば、本当の「アロハ」を感じる機会は、永遠に失われる。
 

 一つだけ提案してみたい。旅立つ前に訪問先の歴史を学び、その地の文化に敬意を払って観光する。たったそれだけで何かが変わるだろうか。何も変わらないかも知れない。でも商業的な物より、土地々々に根差した文化的なものを買い求めるようになれば、文化の保護に繋がるかも知れない。敬意を払って現地の人に接すれば、より深い文化を学ぶ機会に恵まれるかも知れない。そうした事柄を知れば、何かの形で人に伝えたくなるだろう。そうして本質的な想いが、さざ波のように伝わっていくかも知れない。

 

 この先もずっと、旅が人の人生を豊かにするために。

 

≪発見の航海とは、新しい風景を探すことではなく、新しい眼差しを持つことである≫
ー マルセル・プルースト ー