ザ本ブログ

読書をメインに。他、雑記などをアップしていきます。

言の葉の庭 (2013年) / 新海誠

■現代、東京。靴職人を目指す高校生のタカオは、雨に日には決まって午前の授業をサボり、新宿御苑に来ていた。そこのベンチで、チョコを肴にビールを飲む、謎めいた女性、ユキノに出会う。女性は短歌の様なものを言い残し、その場を立ち去る。

 

それからというもの、雨が降る度、二人は同じ公園の同じベンチで時を過ごした。タカオは靴のデッサンを描き、女性はビール片手に古典を読む。いつしか二人は言葉をかわすようになった。他愛もない話をする内に、少しず打ち解け、タカオは、初めて他人に自分の靴職人の夢を語った。

 

女性は、自分はうまく歩けなくなったのだと話した。確かに、社会人とおぼしき女性が、しょっちゅう公園に来ているのには、何かワケがあるのだろう。物理的に歩けなくなったわけじゃない。でもタカオは、女性が歩きたくなるような、靴を作ってあげたいと思った。そう決意したとき、梅雨が明け、二人があのベンチで時を過ごす機会は、途絶えた。■

 

君の名は。』の新海誠の作品。淡い恋をテーマとする雰囲気は、『秒速5センチメートル』に少し似てますかね。

自然描写が繊細で、梅雨の雨の表し方が多彩。水滴が微細な飛沫をあげながら、地面を打つ様は、実物すら越えてますね。美し過ぎて、ジメジメした梅雨独特の湿気はあまり感じられない。

 

始まりから、抑えた静謐な空気が、スクリーン中に漂っています。終盤で最後に二人が公園を訪れたとき、嵐が襲いかかり、それを機に互いが己の感情を吐露する場面に転換します。その激しさが、これまで抑えたトーンが、同時に抑圧を示唆していたのでは、と感じました。

 

一気に心が浄化されるような、文学的で美しい短編映画。日常に疲れた時、フッと見てみると、翌日から辺りの景色が違って見えるかも知れません。雨垂れの、繊細な描写を観る内に、こんな言葉が脳裏を過りました。“神は細部に宿る”のだと。

漁港の肉子ちゃん / 西加奈子

最初は少女趣味な内容かなーと、油断して読んでいたら、後半急加速を始め、あれよあれよと衝撃的な印象を残す展開となりました。

非常にオススメの作品です。

 

ひなびた漁港の肉屋に居候する母子。

太って不細工で、お世辞にも賢くはないが、人懐っこさとあっけらかんとした性格で周りの人を和ませる母親。美しく聡明だけれど、自分の感情に素直になれない娘。

単に少女の成長譚として、成立しそうな作品ですが、そこは西先生、かなりハードな内容をぶっこんできます。

 

ネタバレですが、性産業について。

少女の出自にに絡めた展開の中で、かなりリアルな性風俗の現場が描写されます。作中ではその善悪に触れるのではなく、そのような仕事の中でも逞しく生き抜く女性や、あるいはどうしようもなく流されて生きる女性がいることを淡々と描きます。そして望まれたものでなくても、性愛のもたらす奇跡についても。

 

女性である著者がどのような気持ちで性風俗の場面を表現しているのかは分かりません。しかしただ見たくないものを拒絶するだけでは、その中で生きる人全てを否定することになると考えているのではないでしょうか。

是非を問う前に、まずありのままを知ること。白黒の付けられないグレーの部分から、存外真実というものはたち現れてくるのかも知れません。

七人の侍(1954年) / 黒澤明監督

■戦国時代。不作など貧しい生活に苦しむ百姓だけの村に、野武士の集団が現れ、僅かな収穫でさえも奪おうとする。長老の決断で、侍を雇うことが提案され(当時はそういうことが本当にあったようだ)、近隣の町で侍を探すこととなる。報酬は、村にいる間、飯を腹たらふく食わせることのみ。名誉も何もない。

 

当然仲間集めは難航するが、たまたま町で起きた強盗事件を鮮やかな手腕で解決した島田勘兵衛を雇うことができたことを皮切りに、彼を中心に侍達が集まった。リーダー格の勘兵衛、その元同士七郎次、元百姓の菊千代、まだ少年の勝之助、凄腕の久蔵、お調子者の林田平八、参謀役の片山五郎兵衛。彼らが七人の侍となって、野武士から村を守ることになった。■

 

古い映画なので、音声は少し聞き取りづらいですね。映像の迫力は白黒を忘れさせるほどの凄み。カラーだったらどれ程だったろうかと想像してしまう。

 

セットの時代考証の緻密さもさることながら、百姓の表情が、本当にその時代から飛び出してきたかのようだ。音楽も控えめで、映像も白黒なだけに、風の音や、川のせせらぎの音が効果的に使われていると感じた。

 

野武士との戦闘シーンは、この時代にどうやって撮ったのか。暴れ馬に乗った武士など、ケガをせずに撮影するのは不可能と思われる。騎馬の蹄の音もすさまじい。

 

村をバリケードで囲い、先頭の騎馬を敢えてスルーし村に囲い入れ、狙いを付けた一騎を取り囲んで仕留める作戦がメインなのだが、解説の描写もないのに、素人にもよく分かる。百姓も団結してよく戦うが、やはり侍の活躍がカッコいい!実力ある侍も、種子島(火縄銃)の餌食になってしまうのがリアル。

 

策略家で武芸にも秀でた勘兵衛や、実力派久蔵も捨てがたいですが、推しメンは、やはり三船俊郎演じる菊千代ですね笑。元百姓なので、侍と百姓の間の橋渡し役になったり、奇行で人を笑わしたり。百姓が武士の甲冑を盗んでいたことが露見しても、彼らの身になり百姓を弁護する。合戦の最中に両親を失った赤子を抱きしめ、「こいつは俺だ!」と号泣する。菊千代の奔放な立ち振舞いが、侍と百姓という身分に囚われた村に、自由の風を吹かせているように思えました。

 

最後には野武士を追い払うことはできたが、七人いた侍は三人まで減ってしまった。百姓の豊穣の祭りを眺めながら、「勝ったのは百姓だった」とつぶやく勘兵衛の胸中は伺い知れない。武芸での出世は潰えて、村を守る合戦を通じて初めて百姓と交わったことで、自然に生き、大地の恵みを得る百姓の生き方が愛おしく思えたのか。とにかくストーリーが秀逸。リメイクとかしないのかなぁ。 

アルケミスト~夢を旅した少年~ / パウロコエーリョ,Paulo Coelho

「星の王子様」に雰囲気似てますが、より踏み込んだ印象を受けました。大人向け?

  両著とも、'自分にとって大切なもの'を探しに行く旅ですが(砂漠を通る共通点もある)、星の王子様では旅の果てに、'大切なものは近くにあった'としますが、「アルケミスト」では'踏み出さなければ大切なものは見付けられない'とし、その課程における心構えが具体的。

  それは'心の声を聴く'ことと、'予兆を見逃さない'こと。様々なしがらみから距離をおき、自分の本当にしたいことを感じるのって結構大変じゃないですか?そしてチャンスを見逃さないようアンテナを張り続けることも。

  この二つの言葉は金言です。常に心に留めておきたいものです。

愛を読むひと (2008年)  / スティーブン・ダルドリー監督

■戦後ドイツ。マイケル(15歳)は下校中体調を崩し、たまたま通りがかったハンナ(36歳)に介抱される。その後ハンナに恋心を抱いたマイケルは、彼女の家に足しげく通う内に、男女の仲となる。

 

不思議なことが一つあった。彼女は会うごとに、マイケルに必ず本の朗読をするように言うのだ。マイケルは感情を込めて読み、ハンナはそれを聞き、笑い、時に涙した。

 

ハンナは電車の車掌の仕事をしていた。その仕事ぶりから、事務への昇格を打診された時、彼女は姿を消す。マイケルに何も告げることなく。数年後、再会を果たした時、マイケルは法学部の学生でナチス戦犯の裁判を傍聴しており、何と被告席にいたのは、あのハンナ・シュミッツだった…。■

 

序盤はタイタニックにも出演したケイト・ウィンスレットと、レイフ・ファインズのラブシーンが繰り返し出るので、このままメロドラマを見せられるのかなーと思ったら、いきなりナチス裁判に場面転換するので驚きました。やはり映画は予備知識なしで見るのがいい笑。

 

ハンナは自身の文盲を恥じるあまり、裁判で不利益な証言をしてしまいます(多分懲役4年→無期懲役)。マイケルはハンナの文盲に気付きながら、彼女の気持ちを汲み取ってか、或いは彼女に過去の罪の精算を求めてか、判事にそれを告げることができません。

 

判事や聴衆はハンナの無自覚さを責めますが、フランクルの『夜と霧』など収容所の状況を描いた著作や、心理学における監獄実験の結果を知っていると、無学なハンナに収容所の看守としての罪をどれだけ問えるか逡巡します。「あなたらどうしましたか?」、とハンナに聞かれた時、傍聴席は静まりかえり、判事が何も言葉を返せなかったことからも、それが分かります。ハンナは無学を恥じましたが、当時のドイツ国民は、ヒトラーを生み出した自国を恥じていたのではないでしょうか。その恥を、戦犯に精算させることにより濯ごうとした(現在のドイツは、収容所跡を当時のまま残し、各地にホロコーストの慰霊碑がある。)。

 

マイケルは結婚し子どもを儲けますが、離婚します。その後思い立ったかのように、服役中のハンナに朗読を吹き込んだテープを送ります。そのテープをハンナが再生するシーンには心震えました。愛し合った当時の二人が戻ったようで…。

 

しかし時は残酷でした。ハンナはテープと本を利用し文盲を克服していきますが、知識を得るごとに、身だしなみに気を払わなくなります。20年もの服役を経て、マイケルはハンナの身元引き受け人を求められます。出所一週間前に、二人は再会しますが、ハンナは年老い、マイケルもまた人生の苦渋を味わった大人になっていました。二人は事務的な会話を行ったのみで、マイケルは一週間後に迎えに来ることを告げ、別れます。

 

そして出所の前日、ハンナは自ら命を絶ちます。知識を得たことにより、罪の意識を自覚したのか。或いはマイケルとの再会で時の流れに打ちのめされたか。出所後の生活の不安に怯えていたのか。

彼女の死を知ったマイケルの涙は、彼女の不憫な人生に対する哀しみがもたらしたものだったのか。

 

二人の複雑な感情の流れは、容易には読み取れないような作品と感じます。ただ作中でも語られていたように、作り手は得てして真意を巧みに隠そうとします。見る年代や環境で感じか方が大きく変わる作品と感じたので、自分の生きるステージが変わったら、また新たな視点で観賞をしたいと思いました。