ザ本ブログ

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愛を読むひと (2008年)  / スティーブン・ダルドリー監督

■戦後ドイツ。マイケル(15歳)は下校中体調を崩し、たまたま通りがかったハンナ(36歳)に介抱される。その後ハンナに恋心を抱いたマイケルは、彼女の家に足しげく通う内に、男女の仲となる。

 

不思議なことが一つあった。彼女は会うごとに、マイケルに必ず本の朗読をするように言うのだ。マイケルは感情を込めて読み、ハンナはそれを聞き、笑い、時に涙した。

 

ハンナは電車の車掌の仕事をしていた。その仕事ぶりから、事務への昇格を打診された時、彼女は姿を消す。マイケルに何も告げることなく。数年後、再会を果たした時、マイケルは法学部の学生でナチス戦犯の裁判を傍聴しており、何と被告席にいたのは、あのハンナ・シュミッツだった…。■

 

序盤はタイタニックにも出演したケイト・ウィンスレットと、レイフ・ファインズのラブシーンが繰り返し出るので、このままメロドラマを見せられるのかなーと思ったら、いきなりナチス裁判に場面転換するので驚きました。やはり映画は予備知識なしで見るのがいい笑。

 

ハンナは自身の文盲を恥じるあまり、裁判で不利益な証言をしてしまいます(多分懲役4年→無期懲役)。マイケルはハンナの文盲に気付きながら、彼女の気持ちを汲み取ってか、或いは彼女に過去の罪の精算を求めてか、判事にそれを告げることができません。

 

判事や聴衆はハンナの無自覚さを責めますが、フランクルの『夜と霧』など収容所の状況を描いた著作や、心理学における監獄実験の結果を知っていると、無学なハンナに収容所の看守としての罪をどれだけ問えるか逡巡します。「あなたらどうしましたか?」、とハンナに聞かれた時、傍聴席は静まりかえり、判事が何も言葉を返せなかったことからも、それが分かります。ハンナは無学を恥じましたが、当時のドイツ国民は、ヒトラーを生み出した自国を恥じていたのではないでしょうか。その恥を、戦犯に精算させることにより濯ごうとした(現在のドイツは、収容所跡を当時のまま残し、各地にホロコーストの慰霊碑がある。)。

 

マイケルは結婚し子どもを儲けますが、離婚します。その後思い立ったかのように、服役中のハンナに朗読を吹き込んだテープを送ります。そのテープをハンナが再生するシーンには心震えました。愛し合った当時の二人が戻ったようで…。

 

しかし時は残酷でした。ハンナはテープと本を利用し文盲を克服していきますが、知識を得るごとに、身だしなみに気を払わなくなります。20年もの服役を経て、マイケルはハンナの身元引き受け人を求められます。出所一週間前に、二人は再会しますが、ハンナは年老い、マイケルもまた人生の苦渋を味わった大人になっていました。二人は事務的な会話を行ったのみで、マイケルは一週間後に迎えに来ることを告げ、別れます。

 

そして出所の前日、ハンナは自ら命を絶ちます。知識を得たことにより、罪の意識を自覚したのか。或いはマイケルとの再会で時の流れに打ちのめされたか。出所後の生活の不安に怯えていたのか。

彼女の死を知ったマイケルの涙は、彼女の不憫な人生に対する哀しみがもたらしたものだったのか。

 

二人の複雑な感情の流れは、容易には読み取れないような作品と感じます。ただ作中でも語られていたように、作り手は得てして真意を巧みに隠そうとします。見る年代や環境で感じか方が大きく変わる作品と感じたので、自分の生きるステージが変わったら、また新たな視点で観賞をしたいと思いました。