魂でもいいから、そばにいて─3・11後の霊体験を聞く─ / 奥野 修司

霊とか超常現象とか、オカルトものが結構好きです。怖いもの見たさというよりかは、目に見えるものだけでは、世界はつまらないと感じるから。ってか、それだけのハズがないし。

 

何せ宇宙の果ても起源も分からないし、人体の中でも働きの分からない部分は多数ある。不治の病もあれば、意識や魂の存在も未解明。植物の栽培はできるけど、ゼロからは草1本つくれないですもんね。このように、科学はこんなに不完全。

 

その割に、現在はかなりの科学至高主義。再現及び検証可能なものが、科学的と呼べるのですが、何もオカルトじゃなくたって、再現不可能なものは、無数にあります。例えば一人一人の人生とか。人はいつでも、唯一無二を生きている。

 

本作では著者が3.11の震災後の地域を訪ねて、不思議な現象を体験した人から、体験談を収集しています。震災当初より、書籍化される前から、被災地での霊的体験は、気にはなっていました。それがこの度、著者の丁寧な聞き取りにより掘り起こされたので、本作の出版に気付くと即買った次第です。

 

霊的現象が苦手な人には、少し辛い部分はありますが、本作は怖いというよりかは、津波によって大切なものを失った人達が、霊魂との交流によって、幾ばくかの救いを得るエピソードがメインです。それはもの悲しくも温かい、不思議な話ばかりでした。

 

無粋な見方をすると、霊的体験の中には、電気的なものが多かったように思われます。亡くなったお子さんのおもちゃが動いたり。携帯にかけたら、出ないはずの本人が出たり、メールが届いたものもありました。夢枕に立ったり、映像が脳裏に流れ込んだりと、昔ながらの現象もありましたが、人間の思考が電気信号である以上、物理的に存在しないものを、脳に干渉してあるかのように見せることは、あり得るのかなと思いました。

 

阪神大震災に比べて、東日本大震災では、この手の話が多かったと聞きます。柳田国男の‘遠野物語’にもあるように、東北の土地柄やそこに住む人の人柄が、この世ならざるものとの親和性が高いのかも知れません。またまた無粋に表現すれば、土地の磁場が高く、住人たちの電気的なものをキャッチする受容性が高いのかも。

 

このような現象を、ちょっと不思議は話で終わらせてしまうのは、勿体ないような気もします。近しかった誰かを、喪ってもなお、夢にまで見るほど大事に思う感性を、現代都市の人間は持ち続けていることはできているでしょうか。人の死すら目にすることが減った都市部の人間は、本当はそこかしこに満ちている、‘目に見えないもの’への畏敬の念が損なわれてはいないでしょうか。

 

身近なものを、心から大切に思う共同体を保ち続けた東北は、復興の支援を受ける側に留まらず、本来の共同体の在り方を学ぶべき土地なのではないかと、本書の体験談を語った人たちから、受け取った気がします。