ザ本ブログ

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希望の国のエクソダス / 村上龍

 中学生たちの、日本全国規模での集団不登校という刺激的なトピックと、時折挟まる経済情勢の詳細な説明が、微妙にマッチしてないように感じた作品。もっと経済に精通していれば、経済情勢が物語の流れに完全に沿っていることに驚嘆することができたのか・・。


 時は2000年代前半。バブル崩壊からの不況の脱出の糸口をつかめないままの日本。それはすなわち、大人が子どもに教示する、いい大学→いい学校、の方程式が崩れている時代。学校に通うことに意義を見出せなくなったためか、全国的に中学生が不登校になっていた。そんな中、日本人にとっては衝撃的な映像がニュースで取り上げられた。日本の中学生と思われる子どもが、紛争地域で反政府勢力の一員として活動していたのだ。更に、取材に来た日本の記者の足を、携えていた銃で撃ち抜きすらした。あまりの現実離れした事件に、日本のメディアは取り扱いかねて手を引いていった。しかし、日本の不登校の中学生に与えた影響は大きかった。この事件を受けて、ネットを媒介として全国の不登校の中学生が連帯し、同日同刻の夜に学校に集合するという不気味な動きを見せ始める。集会は一夜限りだったが、それからの彼らの動きは、大人には思いもよらぬものだった。主人公であるライターは、傾きつつある日本の中で、彼ら中学生が、大人顔負けの組織を形成して、強大な影響力を付けていく様を、目の当たりにすることになる。
 

 こんな荒筋です。不登校中学生たちが、大人の社会システムの規範をそのまま利用しながら、組織の規模を拡大させていくのですが、彼らは感情が読み取りづらい反面、徹底的にシステマティックである。あらゆる無駄を排除して、大人と議論する時も婉曲な言い方は許さない、というか興味がない。巨大企業を作り上げ、土地を買収して果ては地域通貨まで発行させるに至るのだが、村上龍がこの作品に込めた意図はなんなのか。単純に不況や大人社会への諦めを、少年たちに希望を託す形で昇華しようとしたという解釈でいいのか。ちなみに、エクソダスとは出国とか〝出エジプト〟を、指す言葉である。